レポート| ことばと子どもの育ち&シュタイナーから考えるこれからの子どもたちへの教育』
前回参加の4名で、諏訪耕志先生(ことばの家)からたっぷり学びを深める時間!
午前中は、それぞれが持参した声に出して読みたい絵本や物語を「言語造形」という言葉の芸術で空間に立ち上げます。
全身が耳であり目である子供たちは、”言葉の動き”を身体いっぱいで存分に味わいたい。
動と静、緊張と緩和、言葉の身振りを豊かに等々、前回の講座も思い出しつつ、1人1人実践を重ねました。
動きをもった言葉で空間を満たし、子供たちの手足に働きかけていくことで、子供たちの意欲、意思がしっかりと育まれていくー。
子供たちは物語の世界を体験しながら、遠くに想いを馳せたい。
語り手は、はるか遠い世界と、今ここを行き来して子供たちを導く。
また、読み聞かせの前には、歌やわらべうたなどのリズム遊びで、物語の世界に入っていく律動をつけるといったお話も。
保育士、教員をされている参加者の方が、人の生の声ではなく、録音した音声で読み聞かせをする学校や園があるという現状も教えてくれ、唖然としました。音声データには、深い息遣い、心、目の前の子供たちと交わすやりとりが欠如していますよね。
そして学校教育で子供たちはずーっと「頭」に働きかけられている。シュタイナー的には、7歳まではからだを育む時間、7歳から14歳までは心を育む時間。
本当に、私たちは今何ができるか、すでに取り組みを始めている参加者だからこそ、話を深めることもできました。
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午後の学びは、「これからの国語教育」。
柳田國男の著書の「昔の国語教育」という論考などを参照しつつ、今の時代に求められているであろう国語教育について、深く学びました。
柳田は、「言語」というのは、衣食住と同程度、呼吸や飲食と同様に、人の生活に必要なものと位置付けていたそうです。江戸時代、人として一人前になるということは、イコール”ものが一人前に言えること”、言語力や国語力があるということを意味していたとか。
一人前に言えるというのは、人と人との間で効果的な言語を言えるということ。
さて、言語生活は、「聴く」と「話す」に分けられますが、まずは、どれだけその子が周りの大人が話す生き生きとした言葉を全身で聴いていたかが大切。そしてたっぷりと聴いた言葉を変換して、自らが世に放っていく、その変換する力が「国語力」。
自分が考えたり願ったり、心の内で思っていることを適確に、言い過ぎず、言い足りなさ過ぎずに表せること。
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さて、昔の日本人は、わらべうたに言葉遊び、ことわざ、罵詈雑言など、生き生きとしたリズミカルな言葉を遊びや暮らしの中で使っていたとか。
そして、「群れの教育」という、年上の子が年下の子の面倒をみる時間、子供同士で切磋琢磨する時間が十二分にあった。それが明治以降の近代教育の導入等々で、そういったものは失われていった。
また、俳句、短歌、川柳といった文化は、我が心を言葉にい直すという、日本のすばらしい文化。詠む行為の中で、自らの内なるものを適確に表す言葉を見出す。それは健全な心身の育みにもつながるでしょう。
さて、それらのすばらしい国語教育が失われつつある今、昔を懐かしみ、昔に戻ろうとするのではなく、私たちに求められているのは「意思の力」をもって、それらに新しく取り組んでいくということ。
引き続き、私たちも学び実践していきます。
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次回は、8月7日(月)午前・午後に仙台にて講座を持ちます。
次回は「短歌」を詠むやもしれません!
詳細はまたご案内しますが、ご興味ある方、ご連絡お待ちしております。
スタッフ 大河原芙由子
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